回顧録

ネットビジネス成功物語 ~回顧録4~

ネットビジネス成功物語

5歳の子供に教えられた人生の教訓

納税を頑なに拒否した理由とは・・・

 

これは何故アダルトビジネスを始めるに至ったか?

 

この背景を知ってもらわなければ理解できないと思う。

 

18歳の時にミュージシャンになることを夢見て、

 

名古屋から上京した。

 

元々兄がプロミュージシャンとして、

 

バンドデビューをしていたので、

 

兄の紹介があれば音楽関連の仕事に困ることはないだろうと、

 

浅はかな考えでいた。

 

たった1人で上京しゼロから夢を掴んだ兄を見てるうちに、

 

自分の不甲斐なさに嫌気が増してしまい、

 

上京後1ヶ月もしないうちに、

 

自分で音楽関連のアルバイトを探した結果、

 

芸能プロダクションに採用が決まった。

 

その時は滅茶苦茶嬉しかった。

 

自分一人で独立して東京で生きていくんだ!

 

こんな気持ちが芽生えた覚えがある。

 

起業して独立をする

 

その芸能プロダクションは、

 

海外アーティスト専門のプロダクションで、

 

当時のアルバイト雑誌の「フロムA」には、

 

「あなたもロッドスチュアートと仕事をしませんか?」

 

といった募集広告を見てすぐに面接の応募をした。

 

ロッドスチュアートは当時アメリカの人気ロックスターだったのだ。

 

ロッドスチュアート

 

 

面接ではその場で採用が決まり、

 

翌日から出社をすることになった。

 

1ヶ月後にはアルバイトの分際で海外への赴任が決まり、

 

出世コースまっしぐら!なんて、

 

有頂天だったような覚えがあるなぁ(笑)

 

「ヨシ!アメリカで俺もロッドスチュアートと仕事ができる!兄貴を追い抜いてやる!」

 

そんな喜びも束の間・・・

 

赴任先は・・・

 

なんとフィリピンだったのだ。

 

フィリピン

 

オーマイガッド!

 

しかも飛行機の中で気づくという有様www

 

もちろん事前には聞いていたが、

 

中学高校と勉強はまるっきし苦手で通知表は1と2を独占。

 

フィリピンってアメリカのどこかの州だろうと思っていたほどの地理オンチ。

 

到着前のアナウンスであまりに早い到着だったので、

 

同行した社員に確認して、

 

初めて現状を知ることで、一気にテンションが下がる下がる(笑)

 

 

その会社は、

 

芸能プロダクションはプロダクションでも、

 

その実態はフィリピンのダンサーやシンガーを、

 

日本の観光地のホテルや、

 

赤坂、六本木などのスナックやクラブに

 

派遣する暴力団が経営するプロダクションだったのだ。

 

暴力団が経営するプロダクション

 

あまりのショックで、

 

すぐに帰国をしたいと申し出ても、

 

代わりのスタッフがいないということで、

 

日本に帰らせてくれない。

 

給料は物価が安いということもあり、

 

当時の固定給14万円の半額を積み立てをして残りの約7万円を至急してくれたが、

 

当時のフィリピンでは日本人というだけで、高い日本人料金を取られてしまい、

 

7万円では生活できないwww。

 

前借りをしたいと言っても暴力団が経営してるプロダクションでまともに貸してもくれない。

 

現地で仲良くなった友達から、

 

アルバイトを紹介してもらい始めたのが、

 

悪臭漂うスモーキーマウンテンというゴミの山での空き缶拾いのバイト。

 

空き缶を探す際にゴミをかき分けると死体が出てくるという悲惨な場所だった・・・

 

ゴミの山でアルバイト

 

フィリピンに来て1ヶ月もしないうちに生きてることが嫌になってきた・・・

 

18歳の時に他界した母のところに行こうかな・・・

 

そんな思いを抱き始める日々の中、バイト帰りにもうろうとした意識の中で、

 

辿り着いたのがマニラ湾。

 

そこで死のうと思い目の前の海に飛び込んでしまったのだ。

 

飛び込んだはいいがあまりにも海水が臭くて、

 

泳いで岸に辿り着くという意味不明の行動(笑)

 

もう精神がボロボロになった時期だった・・・

 

精神がボロボロになる

 

 

ゴミの山で働く半分が5歳前後の子供が多かった。

 

その中のパイパイという5歳の女の子が、

 

「ティトユージ!(ゆうじオジサン!)」

 

と懐いてきてよく遊んであげた。

 

パイパイとの会話はボロボロになった自分に癒しを与えてくれる時間だった。

 

ゴミの山で働く子供

 

 

本名はパイリスだけど、

 

ニックネームで皆からパイパイと呼ばれて可愛がられていた女の子だった。

 

ゴミの山で働いてる子供は、

 

皆、真っ黒に汚れた服を着て遊んでいたが、

 

いつもキラキラ輝く笑顔を振りまいている。

 

「夢も希望もない、こんなゴミの山で暮らして何故笑顔でいられるんだ?」

 

不思議に感じたのでパイパイに質問をしてみた。

私
将来の夢は何?今の生活は楽しい?
パイパイ
パイパイ
将来はアイスクリーム屋さんになってママとパパを助けるの!

 

パイパイの話を聞いてるうちに、

 

目頭が熱くなり涙が溢れ出てくると同時に、

 

自分が情けなくなってきた。

 

音楽の夢が実現できないだけで、

 

死のうと思った自分に無性に腹が立ってきた。

 

着る服もボロボロに汚れた服しかない、

 

食事もまともなモノさえ食べることもできない。

 

毎日シャワーを浴びることもできない。

 

そんな状況でも小さな子供は夢を持って笑顔を輝かせて懸命に生きてる。

 

日本の子供には見ることのできない笑顔だ。

 

・どんな状況でも夢を諦めず希望を持つ。

・どんな状況でも笑顔を忘れない。

・どんな状況でも決して疲弊はしない。

 

この3つを5歳のパイパイから教えてもらった。

その日から人生観が180度変わった。

 

結局1年間フィリピンで働き、フィリピンで生活が楽しくなってきた時に、

 

会社から帰国の連絡入った。

 

帰国が決まったときは嬉しい反面、フィリピンの友人たちと別れることに対して、

 

寂しい気持ちの方が強かった。

 

帰国前は友人たちの家族全員が集まり大パーティーで祝ってくれた。

 

パイパイだけは悲しい表情をしていた。

 

「俺またここに来るから!」

 

泣きながら朝まで飲み明かした。

 

しかし、仕事を続けていてもロッドスチュアートと仕事をする機会が永久にないことはすでに悟っていた・・・

 

1987年、東京は夏が終わろうとする頃だった。

 

 

そして帰国をしてからは、

 

兄からミュージシャンの宇崎竜童さんを紹介してもらい、

 

宇崎さんの紹介で劇団に入り役者の勉強をしながら夜はライブハウスでアルバイトを始めた。

 

その頃から音楽のセンスは無いと感じ始めて役者になる夢を追い求めてがむしゃらに働いた。

 

常に心にはパイパイが宿って励ましてくれていた。

 

音楽から役者に夢が変わり、

 

その役者がなぜかAV男優に・・・

 

波乱万丈の人生がスタートしたのだ。

 

続く・・・

 

 

 

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